51年度初期登録 池 章 

寄 稿【福島第5団での思い出】

 第5団に入ったのは、CS隊相馬隊長→藤田隊長の時代だ。それから高校卒業まで、長いことスカウティングに参加させていただいたことを感謝し、そして誇りに思っている。今日はその思い出を時系列に寄稿させていただこうと思う。

 CS隊時代はとにかく遊んだ。勿論、諸先輩の方々にお世話になってのことだから、そこで上下関係を学んだ。当時は紅葉山公園や阿武隈川(隈畔〜わいはん…でしたか)中央公民館を拠点として活動した。その中でも最も記憶に残っているのが餅つき大会。あれが第一回団新年会だったとは、年表を見て初めて知った次第。

 BS隊時代は本多隊長。やけに敬礼が縦方向だったのが鮮烈な印象だった。また、渡辺千春副長には刺激的な雑誌を数多くご紹介いただいた。この時代が一番活動したのではないだろうか。花火大会のゴミ拾いを毎年続けたことで、ライオンズクラブから感謝状も頂戴した。また、佐藤繁様宅の倉庫及び車庫で、常にキャンプ用品の整備をしていた。階段が狭くて困ったのも楽しい思い出だ。そうそう、SS隊の皆さんが韓国遠征したのを泣く泣く見送り、その悔しさをバネに、一心不乱にトーテムポール製作に携わった。もう一つの大きな思い出は、台風に悩まされた南蔵王の日本ジャンボリー。確か、土砂崩れの影響で下界から食料が届かず、自衛隊の非常食を食べた。あんな経験は後にも先にも一回限りである。

 SS隊時代は安斉隊長、桜井副長。活動場所はほとんど安斉モータースだった。特筆すべきは北海道サイクリングだろう。周到な準備をして、稚内から網走まで走った。福島から集合地点の札幌までは、なんと青春18切符一枚で(2000円)で行ったことが奇跡だった。旅先では、北海道警のねずみ取りに自転車で引っ掛かりそうになったり、甘えびをご馳走になったり。私は過呼吸症候群という持病を持っていることに初めて気付いた。

 そして、高校卒業。私は中国・北京に留学した為、それ以来スカウティングから離れてしまった。参考までにボーイスカウトは、中国語で「童子軍」と呼ぶ。台湾の活動が盛んだが、中国本土ではほとんど見かけなかった。香港も特に盛んで、チムシャッツイにはベーデンパウエル館なる大きな拠点もある。
日本ジャンボリー(大阪)やワールドジャンボリー(タイ)で、当社設備時計が寄贈されているが、今でもお付き合いがあるのを嬉しく思う。
もうすぐ36歳。すべては遠き良き思い出である。

【略歴】
1986年 福島県立福島東高等学校卒業後、北京語言学院(現北京語言文化大学)に入学。
1993年 北京大学国際政治学部国際政治学科を卒業。
服部セイコー株式会社(現セイコー株式会社)入社。アジア・中国担当。
途中3年の香港駐在を経て、現在に至る。
現在は、持ち株会社化移行に伴い、ウオッチ事業のセイコーウオッチ株式会社に勤務。一貫してアジア・中国担当。